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人の臭いを気にし過ぎるのはよくない

マナーやエチケットという言葉が独り歩きし、人はだんだん神経質になってしまったようです。もともと、さまざまな人がいてこその社会ですし、全ての人が同じ好みであるわけがありません。そのような中で人命に危険が及ぶものや、明らかに「モラル」に反する行為などを法律やルールで規制し、互いに心地よく過ごせるように考えてきたのが人間です。住んでいる地域によって文化も違えば言葉も違い、そこに存在するルールやマナーも違う、ということがわかったのは国際化が進んだ証です。今ではそれが「当たり前」として受け入れられていて、渡航の際や交流を持つ際にはどうすればいいのか、という「相手」に対して失礼のないように考えることも多くなってきました。そのような中で、一部の人によって「マナー」という言葉が本来持つ意味とは違った意味で論じされることが増えてきたように感じられるのです。少しでもはみ出した人や少しでも他の人と違えばすぐに非常識、そしてそれを論じる自分はどうなのかというとその人もまた非常識な行動をとることが多いのです。
マナーという言葉は「ルール」よりも緩いものです。「決まりごと」ではなく、他人を不快にさせないようにどう配慮するのか、ということであるからです。それはある種の「自戒」であったりするわけです。人がそれぞれ考えるマナーも様々です。誰にも何も影響を及ぼさず、迷惑をかけないなどということはなかなか難しいものです。気難しい人もいれば、寛容な人もいるからです。寛容な人に対しては許してもらえたことが、気難しい人に対しては「マナーに反する」と起こられてしまうこともあります。人の好みは誰も修正できませんし、誰が何を好きになろうと、どう考えようと自由なのです。ですから価値観はバラバラです。それが大前提なのです。その中で考えることがマナーであり、時と場合によって、そして相手によっても変わります。それは決して明文化できるようなものではなく、変化するものです。つまりひとりひとりの気持ちの持ちようといってもいいでしょう。
人の体臭が気になる。ということは仕方がありません。電車やバス、そして人が多く集まるところなどで運悪くそのような人に出くわしてしまうこともあるでしょう。ですが、その程度では人の体調は崩れないはずなのです。気分がすぐれない、ということは「気の持ちよう」でもあります。その人の状況も知らず、あからさまに嫌な顔をしたり、時には雑言を浴びせかけることは、マナーに反します。その相手も好きでそのような状態になっているわけではないのかもしれません。最大限のケアをした結果、そうならざるを得ないのかもしれません。そのような経緯も何も知らないまま、ただ相手を罵るということは、最低の行為です。我慢しろというのではありません。ただ状況が許す限りその場を離れるなどの対処法もあるはずです。相手を罵って状況が改善されるわけでもないのですから、相手を責めるのはまったく意味の無い行為です。そして、現代の人は「匂い」に特に敏感です。少しずつ潔癖症になってきたのかもしれません。「マナー」と叫ぶ前に、まずは自分の足元を見直す必要があるのではないでしょうか。

 
 
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